監督へと転身した俳優の中でも最も象徴的な例のひとりとして、クリント・イーストウッドはCGIを用いない実写の華やかな演出を含むハリウッドの全域をほぼ経験してきた人物だ。カメラの前後での豊富な経験を積み、彼は制作中に時間・エネルギー・フィルムを一切無駄にしない監督として知られている。そのため、俳優がエゴをあらわにしたりセット上のドラマを展開する余地を自由には与えない。1990年代初頭、ケビン・コスナーはその教訓を、驚くほど単純でありながらも笑いを誘うほど残酷な形で学んだらしい。
ゲストとしてArmchair Expert with Dax Shepardに出演した際、映画製作者の息子スコット・イーストウッドが、1993年の犯罪ドラマA Perfect Worldの撮影現場で起きたある日の逸話を共有した。彼は自分がその話を正確に伝えきれていないかもしれないと認めつつも話し、コスナーとイーストウッドはそれぞれ囚人とテキサス州レンジャーという役を演じる中で、制作哲学が役柄の倫理観と同じくらい衝突していたと伝えられている。コスナーは演技の熟成に時間を費やすことを好む一方、共演・監督を務めたイーストウッドはリハーサルと追加テイクを嫌うことで知られていた。
この逸話がいつ起きたのかは定かではないが、スコットは次のように語っている。
ケビン・コスナーは、いわば名声の高まりとともに大きな自尊心を手にしていた時期だったのかもしれない。けれど彼らはA Perfect Worldを撮影していた…どういうわけかコスナーは何らかの理由で自分のトレーラーから出てこなかった。父である僕の父はトレーラーを使うタイプではなく、いつも「現場にいて、セットにとどまっていろ」と言っていた。子どもの頃から彼は「映画の作り方を学びたいのか?それを学ぶには、みんなと一緒にここにいて、くそくらえな映画を作るんだ」と教えてくれた。
彼の指摘どおり、ケビン・コスナーは1987年のThe Untouchablesから1992年のThe Bodyguardまで、毎年ヒット作を連続させる絶好調の時期を迎え、Dances with WolvesやField of Dreamsもその勢いの中にあった。誰かの巨大な自尊心を擁護するつもりはないが、もしその時期にこそ適用されるべき瞬間があったとすれば、まさにその時だったのかもしれない。とにかくイーストウッドはこう続けた。
「それで、彼を家へ戻す、というだけのことさ」とクリントは言い、皆が「どういう意味だ? 彼はその場のシーンに出ているはずだ」と返す。彼は「まあ、家へ戻せ。そう言っただけだ」と述べ、実際に彼を家へ戻した。すると関係者はケビンへ近づき、「今日はもう帰ってくれ。ここにいる必要はない」と伝えた。ケビンは「どういう意味だ? 俺はシーンに出ているはずだ」と抗議した。すると彼らは、「まあ、もういない。クリントがそれを変えたんだ」と返答したのだった。
モブランドでトム・ハーディの振る舞いを巡る現場の騒動と、彼が自分のトレーラーから出てこようとしなかったという話題の後では、俳優と監督の組み合わせが、数日以上続けばどうなるのかを想像するのも楽しい“スライディング・ドア”のような状況だっただろう。
イーストウッドは話を締めくくり、こう語った。
「つまり、これが序列というものだ。だから次の日、[Costner]はセットにいて、準備万端だったと思う。」
この話が、クリント・イーストウッドの常用カメラマンであるジャック・グリーンが語った話と異なるのか、またはそれと結びつくのかは定かではないが、グリーンは過去、コスナーがトレーラーから出てこられなかった日には、監督が彼の代役を現場に連れてきて、シーン用の衣装まで整えさせたとエスクァイア誌に語っている。コスナーは後に現場に到着し、すでにそのシーンが撮られていることを知って激昂したと伝えられる。
いずれにせよ、最終的には冷静な頭が勝り、それ以上の現場の敵意に関する話は生まれなかった。映画史の中で直ちにトップクラスの作品群に位置づけられるものではないかもしれないが、『A Perfect World』はかなりしっかりとした作品であり、その後のコスナーの大作群(Wyatt Earp や Waterworld など)よりも長く観客の記憶に残っている。Xebec の読者の中には、Waterworldを好意的に受け止める人もいることだろう。
良くも悪くも、クリント・イーストウッドは現在はもう映画を作っていない。2025年には filmmaking journey を止めるつもりはないと語っていたにもかかわらずだ。しかし、朗報としてA Perfect Worldは今YouTubeで無料で視聴できる状態になっている。